ムショクのきみへ

あしたから出版社

あなたは「無職」になったことはありますか?

私は、あります。ちょうど3年くらい前のことでした。
社長を含めて社員5人の小さな情報サービスの会社。
突然クビになりました。

クビになった一番の理由は、会社の新規事業が上手くいかなかったこと。ですが、売り上げのことをあまり意識せず、マイペースに仕事をしていた自分にも問題があったと思っています。

職を失い、目の前は真っ白に。転職活動も思うようにいかず、一度レールから外れた人間に対する社会の冷たさを感じました。
「無職」の期間は4ヶ月。「会社員でない」というたったそれだけで、何者でもなくなってしまった自分。その間に実家に帰り、自動車の運転免許をとれたことは良かったのですが、私にとって空白の4ヶ月間でした。

『あしたから出版社』(島田潤一郎著)に出会ったのは、それから約2年後のこと。
いつものように職場の近くの本屋さんに立ち寄ったところ、偶然目に留まった朱色の背表紙。

作者の島田潤一郎さんは、大学卒業後、アルバイトや派遣社員をしながら、小説家を目指して20代を過ごしていたそう。31歳のとき、最愛の従兄を亡くされたことをきっかけに、小説家を諦めて仕事をしようと、転職活動を始めます。
しかし、8ヶ月で50社からのお断りメール。そんなとき、島田さんはある決断をします。

ぼくは叔父と叔母のためになにかをしよう。亡くなったケン(従兄)の代わりというのではないが、自分の人生に一度見切りをつけて、ふたりのために、生き直す気持ちで、全力でなにかをやってみよう。
それは、ひとつの転機だった。
31歳までのぼくは、自分のためだけに生きてきた。(中略)一所懸命本を読んできたのも、平たくいってしまえば、自分自身を輝かせたいがためであった。こたえなどわからなかったが、とりあえず、もう十分だ、と思った。ぼくは、十分自分のために尽くした、と思った。

叔父と叔母のためになにができるか。それは、従兄を亡くしたときに出会った一編の詩(ヘンリー・スコット・ホランドの『さよならのあとで』)を本にすることでした。

自分の人生を振り返ってみると、ぼくが、ほかの人たちより情熱を注ぎ込み、飽きずに続けてきたのは、本を買い、読むことだけだった。あとは全部、ダメだった。(中略)ぼくにはつまり、本しかなかったのだった。
ぼくは、あの一編の詩を、本にして、それを叔父と叔母にプレゼントしようと思った。
そのことを手がかりに、未来を切り拓いていきたいと思った。

2009年。こうして島田さんは、ひとりで出版社をはじめます。名前は「夏葉社」。
目的は、“ひとりの読者が何度も読み返してくれるような本をつくり続けていくこと”だそう。現在までに20冊を超える書籍を刊行しています。起業されてからの物語は、ぜひ『あしたから出版社』を読んでみてください。

本書を読んで感じたのは、「誰でも思い立ったそのときから、自分の肩書きをつくることができる」ということです。
私もプロフィールで、「デザインライター」と名乗っています。肩書きをつくったからといって、何かが劇的に変わるわけではありません。ですが、いつもネガティブで泣き虫だった自分が、確かな自信を持てるようになりました。

この記事のタイトル「ムショクのきみへ」は、3年前の自分に伝えたいことでもあります。

『お前の本当に好きなことは何なんだ?
お前ができること、やりたいことは何なんだ?
それは「会社員」じゃないといけないことなのか?
自分で決めればいいじゃないか。自分でつくればいいじゃないか。』

あのときの自分に、そう語りかけてあげたいのです。そして、今悩んでいる君に、気付いて欲しいのです。

あなたは、明日から何になりますか?

肩書きはいくつあったって良いんです。ちなみに私は、明日からフォトグラファーになります。ブログをやっていく上で、表現の引き出しを増やすことが今の一番の目標です。

amiko
編集者、デザイナー、宣伝のお仕事などを経験。現在は「デザインライター」として活動中。プログラマーとしてもお仕事をしています。好きなことは、読書、音楽(主にジャズ)、旅行。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください