半年ほど前に、2016年公開の『世界一キライなあなたに』(原題: Me Before You)という映画を見たのですが、その時に抱いた複雑な感情と涙が止まらなくなった経験が、強烈に脳裏に焼き付いています。そして、最近とある本を読み、フィクションではなくリアリティを持って、“複雑な感情”に再び思いを馳せることになりました。
『世界一キライなあなたに』で描かれていたこと
映画『世界一キライなあなたに』は、二人の男女の心の交流を描いた物語ですが、所謂“ハッピーエンド”なラブストーリーではありません。
イギリスの田舎町に住むルイーザ(ルー)は、職を失い、事故で首から下が麻痺した元実業家ウィルの介護兼話し相手として雇われます。かつて活動的だったウィルは、今の自分に絶望し心を閉ざしていましたが、ルーの天真爛漫な明るさと献身的な姿に触れ、次第に笑顔を取り戻していきます。
そんな中、ルーはウィルが半年後にスイスで尊厳死を選ぶ決意をしていることを知ります。彼女は彼に生きる喜びを思い出させようと、旅行やデートを企画し、二人は深く愛し合うようになります。しかし、それでもウィルの「自分らしくいられない苦痛」と「自由な姿で愛したい」という意思は揺るぎませんでした。
そして、物語の結末は“人間の生き方”について考えさせられ、“複雑な感情”を抱かせます。「愛しているから生きてほしい」と願う側と、「自分らしく生きられないなら死を選びたい」と願う側の対立と歩み寄りが大きなテーマとなっています。
『私が間違っているかもしれない』と出会って
最近とある本との素敵な出会いがありました。それが、2025年7月に日本語に翻訳して出版された『私が間違っているかもしれない 山奥で隠遁生活を送った経済人の最も感動的な人生体験』(原題: I May Be Wrong)です。スウェーデンでベストセラーとなり、世界各国で大きな反響を呼んでいる感動的なノンフィクション(回想録)です。
著者のビョルン・ナッティコ・リンデブラッド/Björn Natthiko Lindeblad(1961-2022)は、26歳でスウェーデンのエリート企業幹部という地位を捨て、タイの森で17年間僧侶として修行します。若くして成功を手にしたビョルン氏が、心の平穏を求めて「すべてを手放す」過程と、還俗後にALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病を宣告されてから最期を迎えるまでの日々が綴られています。
私は2024年末頃から約一年間のうちに、大きな引っ越しや転職で“人生の転機”と呼べるような日々を過ごしていたのですが、そのような環境的にも精神的にも不安定な時期を乗り越えたことで、今はとても落ち着き“自分自身を俯瞰的に見ることができるようになってきた”と感じています。
そして、『私が間違っているかもしれない』を読んだことによって、“自分自身を俯瞰的に見ているような感覚”は、きっと間違っていないのだと確信を持てるようになりました。

人生で起こった出来事を“優しく受け止める”
『私が間違っているかもしれない』には、心に刻まれるような言葉がたくさん紡がれています。中でも、自分自身を困難に陥れるような考えを手放すことで、今この瞬間に目を向けて生きることの大切さを教えてくれるような言葉たちは、きっと私たちの背中を押してくれるでしょう。
意識的であれ無意識的であれ、私たちは心のどこかで、人生の困難の多くは、自らの考えによって引き起こされていることを知っている。心理的な苦しみはたいてい、外界の出来事ではなく、自分の心の中から生じたものだ。
私たちが苦しいと思うからこそ、それは苦しみになる。苦しみは、私たちの心の中で生み出され、そこで大きくなっていく。私たちがそれを許すからこそ、ますます膨らんでいくのだ。
『私が間違っているかもしれない』(サンマーク出版)P.149~
私は、就職活動や転職活動が大嫌いでした。きっかけは新卒時代の就職活動だったのですが、どんなに頑張っても自分の一番入りたい会社に入社することができない(勿論できる人も一部にはいるが)という受験勉強とはまったく異なる“社会の理不尽さ”のようなものを人生で初めて受け入れなけらばならなかったことで、他人から努力とは違うベクトルで評価されることを極端に嫌悪するようになってしまいました。
その経験をきっかけに、“他人を評価することは良くない”という考えが自分の中に構築されたのですが、その後の人生で何度か転職活動を経験したことで、自分もまた他者を評価していたのだと気付くことができました。評価されることは悪ではなく、結果をどのように受け止めるかによって、単なる困難ではなく“自分自身の新しい可能性を発見すること”に繋がるのです。
物事を自分の思い通りにしようとすることを減らし、何かを信頼することを増やす。
『私が間違っているかもしれない』(サンマーク出版)P.171~
「事前にすべてを知っておく必要がある」と考えるのを減らし、人生をあるがままに受け入れることを増やす。
私たちは、物事が思うようにいかないことを常に不安に思いながら生きる必要はない。自分の可能性を狭める必要はない。
私たちには選択肢がある。人生を力任せにねじ伏せたいのか、それとも優しく受け止めたいのかだ。
人は、自分を幸せな気持ちにしてくれるようなものを自然と試したくなるものだ。
『私が間違っているかもしれない』(サンマーク出版)P.128~
そして、「私は間違っているかもしれない、すべてを知っているわけではない」という考えをゆっくり身につけていくことほど、私たちを幸せにしてくれるものはない。
思考を手放してみよう。物事をすべて自分の思い通りにしようとするのをやめてみよう。心の声に耳を傾け、今、この瞬間に意識を向けよう。平穏な場所で安らぎを得よう。人生を信頼し、何が起きてもそれを受け入れて生きていこう。
『私が間違っているかもしれない』(サンマーク出版)P.183~
これらの言葉たちは、お守りのように大切に、これからも自分の傍に身に付けておきたいものとなりました。
今、この瞬間に意識を向ける
過去や未来に捉われず「今を生きる」という考えはよく聞く話ではありますが、実践するのがなかなか難しくもあります。ふとしたときに過去を後悔したり懐かしんだり、はたまた未来を楽観したり憂いたり、自分の頭の中をそういった思考が駆け巡ってしまうことはよくあるからです。私は最近、とあることがきっかけで「今、この瞬間に意識を向ける」訓練ができることに気が付きました。
それは、自動車の運転です。私は運転免許を取得してから10年以上運転することなく生きてきたため、昨年自動車学校のペーパードライバー講習に通い、最近は一週間に一回くらいの頻度で運転しているのですが、毎回運転しているときは自分自身がとても集中していることに気が付きます。
車の運転は、私にとって修行のようなものです。久しぶりにハンドルを握ったときは、緊張と恐怖で手が震えたほどでした。今は恐怖心はなくなりましたが、常に緊張感を持ちながら集中して運転に取り組んでいます。運転をしている時は余計なことを考える隙がありません。そして、目的地まで無事に辿り着いたときは達成感で満ち溢れています。
この小さな自信を積み重ねていくことが大事なのだとしみじみ感じています。そして、運転以外のこと、例えば趣味である読書や文章を書くことなどにおいても、目の前の言葉たちに向き合っていきたいと思うようになりました。
これもまた過ぎ去る / This too shall pass
『私が間違っているかもしれない』の35章「父」では、著者のビョルン氏の父親がCOPD(慢性閉塞性肺疾患)と診断され、スイスでの尊厳死を選択する場面が描かれています。この章を読み、私は映画『世界一キライなあなたに』を見たときに感じたあの“複雑な感情”を再び思い出すことになったのです。
「私たちには選択肢がある。人生を力任せにねじ伏せたいのか、それとも優しく受け止めたいのかだ」とは言っても、大切な人の「自ら死を選ぶ」という選択肢を尊重して受け入れることは簡単ではないはずです。『世界一キライなあなたに』はフィクションですが、ウィルの尊厳死という決意を知ったルーは、彼に「生きる喜び」を思い出させ、決断を翻させようと奮闘する姿が描かれています。また、『私が間違っているかもしれない』では反対するような様子は描かれていませんでしたが、共に過ごした最期は深い悲しみと愛情に包まれていたことが感じられました。
『私が間違っているかもしれない』の作中に、ビョルン氏が大切にしている言葉の一つとして「これもまた過ぎ去る / This too shall pass」という言葉が登場します。つまり、辛いことも幸せなことも、どちらも永遠には続かないということです。「死」というものはいつか誰にでも訪れます。これは一人の例外もありません。そして、残された者はそれでも生きていかなければありません。
尊厳死に限ったことではなく、受け入れられないような相手の選択や耐え難い現実に直面したとしても、ビョルン氏が著書で示してくれたことたちを実践して生きることができていれば、きっと受け入れて前に進むことができると思うのです。
今の自分は過去への後悔も未来への得体の知れない恐怖心も、そういった負の感情が沸き上がった時に手放せるようになりました。たとえ簡単に手放せなかったとしても、いつかは身体の中を通り抜けていく。そして、幸せな気持ちになった時はこれが当たり前ではないと、深く感謝できるようになりました。精神的に辛かった時期は「活字を読むこと」すら苦痛に感じ避けていたので、今こうして本やブログに向き合えている現状だけでも、とても素晴らしいことなのです。
“THIS TOO SHALL PASS”の種を、これからも心の畑に撒いていきたいと思います。
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