「日本仕事百貨」主催の「文章で生きるゼミ」に関する投稿もこれが最後。ゼミが終わる約2週間前、私は共に学んだゼミ生のほーちゃん(女)とこーちゃん(男)と綱島で飲んだ。
生まれた場所も、年齢も、卒業した学校も、職業も、なにもかも違う。そんな私たちは「書くこと」を通じて出会った。
ほーちゃんは、黒髪ショートヘアーがとっても似合う茨城出身の女の子。大学は文学部、大学院は理工学部で街づくりの勉強をしていたそう。本人いわく「今の会社は珍獣採用で受かった」。
こーちゃんは、人懐こい笑顔がチャームポイントの横浜出身の男の子。ゼミの最初のインタビューで、大好きなフルーツトマトについて熱く語っていたのが、とても印象に残っている。
ほーちゃんと私は、根っこの部分の考えが似ています。それは、「仕事」と「暮らし」は近いものであるということ。
実家が兼業農家のほーちゃん。農作業(仕事)を通して家族の絆が深まり、日々仲良く暮らしていたと言います。
そして私にも、似たような経験があります。
まだ小さかった頃、自宅で建築設計事務所を営んでいた父親が作成した図面に落書きをしたこと。図書館の司書だった母親に連れられて図書館に行き、オリジナルの絵本をつくったこと。
私の場合、仕事を通して家族が一致団結したというものではないけれど、両親の職場がすぐそばにあり、自分もその一部になって遊ぶのが大好きでした。特別なことではなく、日常的なこととして。もし両親が普通の会社員だったら、こんな経験はできなかったと思います。
ちょっと寂しい気持ちもありますが、間違いなくあのときの作品が人生の最高傑作。だからこそ、仕事はそんな遊びの延長でいいんじゃないかな、という思いがあります。
こーちゃんと私は、境遇が似ています。
こーちゃんは大学に通いながら演劇の学校に通っている(現在進行形)。私は大学に通いながらデザインの専門学校に通っていた(過去形)。
普通に大学を卒業して就職していれば、今みたいな苦労はしていなかったかもしれないけれど、私はすべてこれで良かったと思っている。なぜなら、やりたかったことが全部できたから。だからこーちゃんにも、やりたいことをやり尽くしてほしい!
世の中やってみないと分からないことの方が多いし、やってみて気付くことがいっぱいあるし、やりたいことが変わることもある。
もちろん成功するのが一番良いに決まっているけれど、一度や二度の失敗くらいで、それを「失敗」だと決めつけないことが大切なんだと思う。
「テンショクをデザインする」では、“転職で自分の人生をデザインし直し、天職を見つけた人”について書いていきたいです。(そんな経験をお持ちの方を探しております…!)
ゼミでの出会いを通して、いろんな人の考えや生き方に触れ、自分自身を見つめ直すことができた。
なんだかとりとめのない文章になってしまいましたが、言いたいことは、つまり、私は二人のことが大好きなのである。
◆ほーちゃんのブログ→佐藤のメモ帳