2013年。私は長野県木曽郡南木曽町の「妻籠宿」にいます。
「妻籠宿」と書いて、「つまごじゅく」と読むのですが、恥ずかしながら私は「つまごいじゅく」だと思っていました。「つまごいじゅく」ならば、「妻恋宿」。
『妻が恋する宿?』『妻に恋する宿?』
助詞を一文字変えるだけで、意味が全く変わってしまいますし、似た音の言葉でこんな新しくて妖しげな宿まで生み出せてしまう。日本語って面白いなぁとしみじみ感じたものでした。
4年が経ち、2017年になりました。私は、長野県塩尻市の「ならいじゅく」にいます。「習い塾」ではありません。「奈良井宿」です。
宿、食事処、漆器店、土産物屋などが軒を連ねていますが、人々の住まいも多く、そこで暮らすご家族や子どもたちの姿がありました。
「妻籠宿」も「奈良井宿」も中山道宿場です。
「中山道」とは江戸時代の五街道のひとつで、京と江戸を結んだものです。中山道は木曽を通るので「木曽路」とも呼ばれ、参勤交代や大名や皇族のお輿入れにも盛んに利用されました。
全工程が約540kmの街道に69ヶ所の宿場が置かれ、そのうち11宿が木曽にあります。
※WEBサイト(木曽路.com)を見ていただければ、さらに詳しく載っています。
そう、ここは木曽路。島崎藤村が『夜明け前』で“木曾路(きそじ)はすべて山の中である。”と言ったあの木曽路です。
奈良井宿は、目的地だった訳ではありません。
旅の途中、何も知らないまま辿り着き、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような町並みを歩きながら、ふと『いつかどこかで見た景色に似ているなぁ』と感じました。
iPhoneのアルバムの奥深く、まだスマートフォンを初めて手に入れて間もない頃の、4年前の写真が残っていました。
『あそこ(妻籠宿)から、今いるここ(奈良井宿)までが道(木曽路)になっていたんだ』
点と点がつながると、道ができる。
当たり前のことかもしれないが、先人たちはこうやって無数の点をつくり、道をつないできたのだろう。
私もそんな風に、一日の「点」、一瞬の「点」を、未来につないでいきたいです。
終わりに。
島崎藤村の『夜明け前』を読んでいたら、飯田のことが載っていました。
当時の南信から濃尾地方へかけて、演劇の最も発達した中心地は、近くは飯田、遠くは名古屋であって、市川海老蔵のような江戸の役者が飯田の舞台を踏んだこともめずらしくない。それを聞くたびに、この山の中に住む好劇家連は女中衆まで引き連れて、大平峠を越しても見に行った。あの蘭(あららぎ)、広瀬あたりから伊那の谷の方へ出る深い森林の間も、よい芝居を見たいと思う男や女には、それほど遠い道ではなかったのである。
私の故郷は演劇の町だったようです。
幼い頃は「いいだ人形劇フェスタ」が大好きでした。
来年か再来年あたりにまた行けたらいいな、と思っています。