JR原宿駅から桑沢デザイン研究所へと続く夜道は、とても暗い。交通量は多いが、近くの代々木競技場第一体育館(現在は改修工事をしているらしい)で、大会やイベントなどがない限りは、人通りはとても少なく、ここが東京のど真ん中であることを忘れるくらいだ。
そんなこの道が、私は好きだ。
久しぶりに歩いたこの道は、相変わらず暗く静かだった。歩きながら、暗闇の中に光る「桑沢」の文字を探した。5年前、桑沢の夜間部に通っていた私は、建物が近づくにつれその灯りが見えると、『よし、今日もここで勉強するんだ』と身が引きしまったのだった。
しかし、5年ぶりにその文字を見ることはできなかった。そういえば、土日は点灯していなかったかもしれない。
「桑沢」とは、創立者の桑澤洋子(敬称略)のことである。
久しぶりに訪れたのは、学校法人桑沢学園創立60周年・桑澤洋子没後40年記念展の『「ふつう」をつくったデザイナー 桑澤洋子 活動と教育の奇跡』を見るためだった。桑澤洋子のことは学生の頃から知っていたが、詳しかったとは言えない。しかし、今回この展示が行われることを知り、彼女が目指した「ふつう」のデザインから再び何かを学びたいと思い、足を運んだ。
「ふだん着」「外出着」「ユニフォーム」に分類された桑澤洋子の作品の中で、最も惹かれたのが「ユニフォーム」の中にある「1964年東京オリンピック競技要員作業着」である。
オリンピックのファッションデザインとして最も有名で、注目を集めるものと言えば、選手たちが着る公式服(1964年の東京オリンピックでは赤いブレザーだった)や競技服であろう。
しかし、桑澤洋子が見ていたものは、それらではなかったようなのだ。
彼女の視線の先には、オリンピックという大舞台の裏側で働く競技要員たちの作業着があった。そして、彼女の“働いているときにも、美しさと楽しさがあれば、日常は必ずよくなると信じています。”という言葉の通りに、ユニフォームのデザインに取り組んだのである。
こちらは女性向けの作業着。デザインは、約54年前のものとは思えないほど洗練されている。一応平成生まれの私が見ても、着てみたいと感じる凛としたオシャレさがあった。
また、機能面においても、屋外作業での寒さや、袖をまくることが多いことに配慮して、襟元と袖口を白の編み物で仕上げるなど、着る人のことを徹底的に考えて、細部までこだわってつくられている。
「ファッションデザイン」には全くと言っていいほど詳しくないが、50年以上も前に、働く人や一般庶民が着る既製品の服を、合理的かつ美しいものに変えようとした試みは、見た目の斬新さや奇抜さはなくとも、とても革新的なことだったのだろうと感じた。
他にも、工場で働く女性のための作業着や、和風の要素を取り入れたふだん着用のコートなど、多数の作品が展示されていた。残念ながら展示は2日間のみで、もう終わってしまったのだが、きっとまた開催されると思うので、その際はぜひ見に行ってみて欲しい。
帰り道、5年前と同じようにいろいろなことを考えながら歩いた。
街の景色は変わらないが、考えている内容は違う。もう、学校の課題のことではない。
デザインに触れること、デザインを学ぶ(考える)こと、それらは誰もが当たり前のように行えるようになった。当たり前にしてくれたのは、偉大な先人たちだ。
しかし、そんな豊かな日常の中にも、『これはおかしい』『これは違う』と思うことが必ず出てくる。
それらの問題に直面したとき、どうするか。
おそらく今、それが試されているのだと思う。