「デザイン」が必ずしも新しいものを生み出すことではないように、「音楽」もつくることや奏でることがすべてではない。
しかし、普通に毎日を過ごしていると、「雑音」は「雑音」としか認識できないことの方が多く、そういったものから耳を塞ぎ、自分の好きなつくられた「音楽」で満たそうとしてしまう。それは悪いことではないけれど、ときには立ち止まって耳を傾けてみることで、見えてくるものがあるのかもしれない。
先日、銀座の資生堂ギャラリーで開催されている、蓮沼執太「 〜 ing」展を訪れた。蓮沼執太氏のプロフィールは下記の通り。
1983年、東京都生まれ。音楽作品のリリース、蓮沼執太フィルを組織して国内外でのコンサート公演をはじめ、映画、演劇、ダンス、音楽プロデュースなどでの制作多数。近年では、作曲という手法を様々なメディアに応用し、映像、サウンド、立体、インスタレーションを発表し、個展形式での展覧会やプロジェクトを活発に行っている。
今回の展覧会「 〜 ing」とは、「〜」の前後にある空白スペースが重要な意味を持っている。この空間には、「自分」や「他人」「モノ」などの名詞が入る。そして「〜」はそれらを繋ぐ記号。つまり、自分と他人、自分とモノなどの関係性を表しているのだ。また、「ing」とは現在進行形で、常に何かが起こっている状態を意味している。
資生堂ギャラリーは地下1階にあるが、ギャラリーへと下る階段の途中に、「Walking Score in Ginza」という映像作品が展示されていた。これは、銀座の街をマイクを転がして歩いて音を採集するというフィールドワーク・フィールドレコーディングの作品である。また、銀座の街をステージにして、ゲリラパフォーマンスも同時に行っている。蓮沼執太氏は音楽家であるが、作曲や演奏以上に、彼が最初に音と携わった原点である“すでに存在する音を採る(撮る)”ということを大切にしているそう。
この作品を鑑賞していると、“普通に過ごしていると気付かない音”や“当たり前に存在している音”に興味がわいてくる。「日常はつまらないことだらけ」と嘆きたくなったときに、このアートに思いを馳せてみてもいいかもしれない。
展覧会のメインスペースへ行くと、床にはたくさんの金属の部品が敷き詰められていた。よく見ると、それらは楽器の一部(廃材)のようだった。
これは、“楽器やレコードなど音楽的なオブジェクトを解体し、再構築するシリーズRe-model(リ・モデル)”の作品「Thing〜Being」。四方の壁はミラーシートで覆われていて、ぼんやりと自分の影と、他の鑑賞者の影も映る。ここにも「 〜 ing」の意味の通り、自分と自分、また自分と他人の関係性が視覚的に表現されている。はっきりと形を捉えられないので、少しもどかしく感じた。
たくさんの廃材の上を歩くと、当たり前だが音が鳴る。自分だけでなく、他の鑑賞者の音も聴こえる。この“存在するだけで音が鳴る”現象によって、“人が存在することの証明”を聴覚的に示しているのだそう。自分の存在を肯定されているようで、なんだか少し嬉しくなって、わざと音を鳴らすように歩いてみたりもした。そして、立ち止まると音が出ないというのも、哲学的で面白かった。
アートとデザインは別物とよく言われるが、この展覧会のテーマや、Re-model(リ・モデル)の考え方はとてもデザイン的だと思った。「雑音」や「廃材」以外にも、見過ごされているものの中に、何かヒントがあるかもしれない。立ち止まって、違う視点であるモノやそれを取り巻く関係性について考えてみることは、デザイン(Re-design)の第一歩だ。でも、立ち止まってばかりいると存在の証明が疎かになってしまうので、気を付けなければと自戒した。
蓮沼執太「 〜 ing」
会期:2018年4月6日(金)~6月3日(日)火〜土11:00-19:00、日・祝11:00-18:00、月曜休館
会場:銀座・資生堂ギャラリー