ジャズの都、ニューヨーク。ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスは、この街でどのように生き、どんな音楽を奏でていたのだろう。「音源」だけでは分かり得ないことを、「映像」と「言葉」が教えてくれる。
ビル・エヴァンスの生誕90周年を記念して公開された映画『タイム・リメンバード』を、UPLINK渋谷で鑑賞してきました。彼の演奏シーンやインタビュー、そして彼に関わる人物や共演したアーティストらの証言によって編集された、ドキュメンタリー映画です。
ハードバップ以降のモダンジャズを進化させ、60作以上のアルバムに参加し、数多くのアーティストに影響を与えたビル・エヴァンス。映画の内容を元に、彼の「記憶」を少し辿ってみたいと思います。
1. ビル・エヴァンスとニューヨーク
ジョージ・ラッセルの『ニューヨーク、ニューヨーク』に収録されている『マンハッタン』。映画によるビル・エヴァンスの追憶の旅は、この曲から始まります。
ニューヨーク ニューヨーク
誰もが言う この街は違う
ニューヨークで上手くいかないなら
他へ行ったってダメさ
だから頑張るんだ ここで
ビル・エヴァンスは1929年ニュージャージー州で生まれ、13歳の頃にはアール・ハインズやナット・コールなどのジャズに熱中。その後、1946年にルイジアナ大学に進学し、主にクラシック音楽を学びました。大学卒業後の2年間従軍し、1954年に(彼が25歳の時)ニューヨークに移りました。
ビル・エヴァンスはニューヨークでの暮らしを、このように語っています。
NYに出て月75ドルのアパート暮らし
週に3晩はブルックリンで仕事だ
地下鉄を3回乗り継いで
流行りの曲を弾いて
稼ぎは55ドルだ
83丁目の小さなアパートには
ピアノとベッドだけ
ひたすら猛練習だ
私の人生で最も生産的な数年間だ
(NYに移った時)自分と約束したんだ
世に見出されなくても
何も起こらなくても
30歳までは頑張る
クラシック音楽も、いとも簡単に弾くことが出来たというビル・エヴァンス。彼は紛れもない天才だったけれど、音楽をやるためにニューヨークに移らなければ、自らの強い意志で血の滲むような努力をしなければ、マイルス・デイヴィスと出会うことはなかっただろうし、その後世に出ることもなかったのではないかと思います。
2. ビル・エヴァンスと女性
ビル・エヴァンスは、女性から多大な影響を受け、また女性の存在によって音楽の創作活動をより豊かなものにしています。彼が残した有名な作品に、『ワルツ・フォー・デビイ』があります。
この曲は、兄であるハリー・エヴァンスの娘のデビイ・エヴァンス、つまり自分の姪が2歳の時に作曲したものです。エレガントで美しいメロディは、ビル・エヴァンスの家族への愛で溢れています。映画にはデビイ本人のインタビュー映像もあり、“いつもあの曲を弾いてくれたわ、いつでも君は心の中にいるよって”と語っています。
また、ニューヨークで出会った恋人ペリ・カズンズのためには、『ペリズ・スコープ』を作曲しています。(『ポートレイト・イン・ジャズ』に収録)
「枯葉」と対比する「若葉」のような、初恋の喜びを感じる楽曲です。ペリが初恋だったのかは分かりませんが、そのように感じました。
その後、最もビル・エヴァンスのキャリアを支えた恋人(内縁の妻)が、エレイン・シュルツです。彼の大切なトリオのメンバーを交通事故で亡くしてしまった時も、ドラッグ中毒で苦しんでいた時も、10年以上もの間彼に寄り添い続けていたのが、エレインだったそうです。ただ、彼女も一緒にドラッグをやっていたようなので、その関係は綱渡りのようなものだったのではないかと思います。
ビル・エヴァンスは子供を望んでいましたが、エレインとの間には恵まれず、ネネットという別の女性の元へと移ってしまいます。そして、彼なしの生活を考えられなかったエレインは、ニューヨークの地下鉄で投身自殺をしてしまったのです。
その後、ビル・エヴァンスはネネットと結婚し、エヴァン・エヴァンスという息子が生まれます。彼は息子を愛情をもって育てました。しかし、辞めることが出来なかったドラッグが原因で、結婚生活は破綻してしまうのです。
ビルの人生は悲劇に満ち
投げてしまったかと思ったが
そうじゃない
音楽は捨てなかった
実際 音楽のためだけに
生きているようだった
映画では、このように語られていました。自身の才能と愛情によって女性を幸せにもしましたが、たくさん傷付け、不幸に陥れてしまったビル・エヴァンス。その罪を咎めることは、出来るでしょうか。彼が残したたくさんの音楽は、彼の人生の悲劇や後悔とは別物だったのではないかと思うのです。まさに純粋な、現実ではなく理想の、真実の「音楽」。だからこそ、これほどまでにたくさんの人々を魅了し続けているのでしょう。
3. ビル・エヴァンスのレコード
劇中では、ビル・エヴァンスのレコードが多数紹介されます。1959年、時代を動かした名盤として紹介されているのが、マイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』です。
マイルス、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ、そしてビル・エヴァンス。長くゆったりとしたアドリブ演奏が特徴の『ソー・ホワット』について、彼はこのように語っています。
どこか対話をしている感じだ
それも素晴らしい内容の
才能と個性溢れるミュージシャンたちとの夢の共演を、「対話」という言葉で表現していたことは、少し意外でした。「対話」には、静かで、地味で、理屈っぽいイメージがあるからです。でも、「会話」ではなく「対話」というところに、じっくり共に演奏する仲間や音楽と向き合い、ジャズとは何なのかを探求する姿勢のようなものを感じました。
また、他にも重要な作品の一つとして1961年の『エクスプロレーションズ』が紹介されました。『イスラエル』『エルザ』『スイート&ラヴリー』など、名曲揃いです。
ベーシストのスコット・ラファロ、ドラムスのポール・モチアンとのトリオ。個人的にはマイルス・デイビスが作曲した『ナルディス』がお気に入り。この曲はエヴァンスのピアノトリオの方が、研ぎ澄まされた感じがして好きなんです。
そして、『エクスプロレーションズ』はジャケットデザインもカッコいいです。夕暮れの陽の光のようなオレンジに染められたカーテンがなびく部屋で、優しい表情を見せるビル・エヴァンス。ニューヨークの小さなアパートでしょうか。たくさんの苦悩を抱えていたでしょうが、どこかリラックスしていて、自然体な雰囲気を醸しています。いつかこのレコードを手にして、聴いてみたいです。
映画でビル・エヴァンスの追憶の旅へ出かけた後、改めて彼の演奏を聴くと、たくさんの映像が頭の中に浮かんできます。彼が愛した兄、姪、息子、恋人、妻。ピアノとベッドしかないニューヨークのアパートや、演奏に明け暮れたダウンタウンの小クラブ。ピアノに覆いかぶさるかのようなスタイルで奏でるメロディ。そして、病に蝕まれてしまった哀しい最期の時間。彼は、いつの時代も、どの瞬間も、人々の胸を打つ音楽をつくり続けたのだと思います。
そして私は、自分をジャズの世界へ誘ってくれたビル・エヴァンスを、これからもずっと、ずっと聴き続けるでしょう。
参考書籍『BILL EVANS/TIME REMEMBERED』編集・発行:オンリー・ハーツ