哲学の問いをしてみよう

哲学

カフカの「喩えについて」の投稿(→こちら)をした後、私は無性に哲学がしたくなりました。
新型コロナウィルスによって、人生観も働き方も劇的に変化している世の中で、哲学は普遍のものとして存在し続けるだろう、と思ったからです。

1. 新しい問いを考える哲学カルチャーマガジン「ニューQ」

2018年、「ニューQ」というリトルプレスに出会いました。(「リトル」と呼んで良いかは分からないですが、いわゆるメジャーな雑誌ではないと思うので、私は親しみと尊敬の念を込めて、「リトルプレス」と呼ばせていただきます。)

読み物を通して問いを考える、というのが「ニューQ」のコンセプトだそうですが、本当に読んでいると「問い」を立てたくなりますし、立てた「問い」について考えたくなるんですよね。人間の考える力の素晴らしさや大切さを実感することが出来ます。

2. 「哲学する」ってどういうこと?

「ニューQ」の中で、“寺田俊郎先生と考える「哲学する」ってどういうこと?”という対談形式の特集がありました。(寺田俊郎先生については詳しくは存じ上げないのですが、哲学研究者の方だそうです。)

その中では、“問いを立てることは哲学が始まるための必要条件だが、問いを立てたからといって必ず哲学的になるとは限らない”と述べられています。う〜ん、ここだけ聞くととても難しいですね。

でも、まずは問いを立てることが第一歩。立てた問いから、少しずつ哲学をしてみることにします。哲学初心者の私でも始めやすいように、特集の中に登場する実例を参考にしました。

3. 「いつ就職するの?」「いつ結婚するの?」を哲学的に考える

誰もが一度は聞かれたり、聞いたり、自分自身に問うたことがあるであろう二つの問い「いつ就職するの?」「いつ結婚するの?」です。

「そんなの簡単!だってこうでしょ?」と下記のようになる方が多いのではないかと思います。

Q.「いつ就職するの?」「いつ結婚するの?」
A.「好きな時にすればいい」以上。

しかし、これは哲学的ではなく、人生論的なQ&Aになってしまっています。冒頭で述べた通り、人生観は時代とともに、自分自身の変化とともに、変わっていくものだと思っています。

したがって、上記のQ&Aをどうやって普遍的な「哲学の問い」にするか、について考えてみます。

「人それぞれ」という結論をやめてみる

「好きな時にすればいい」とは、すなわち「人それぞれ」ということだと思うのですが、そのように結論づけることで、思考はストップしてしまいます。何より一番大切なことは、考えることです。まずは「人それぞれ」をやめてみましょう。

前提を疑ってみる /「なぜ」と問うてみる

「好きな時にすればいい」は、疑う余地のない正論に思えるのですが、この答えを疑ってみると、別の側面が見えてきます。それは、「なぜ疑いたくなるのか」ということだと思うのです。

「好きな時にすればいい」は本当か?
今しなかったら、今してしまったら、後で後悔するのではないか?

疑うことによって、問いに潜む本質的な不安が明らかになってきました。言い換えるなら、未来の自分が後悔するかもしれない、つまり、“未来の自分に対して責任をとれるのか”という不安です。

ここまで来られれば、「哲学の問い」が立てられそうです。

4. 人は未来の自分に対して責任をとるべきなのか?

「ニューQ」の特集の中では、このように「人は未来の自分に対して責任をとるべきなのか?」という問いに帰結し、それに対しての答えをみんなで考えようという流れになっています。なので、私も同様に答えを考えていきたいと思います。

Q.「人は未来の自分に対して責任をとるべきなのか?」
A.「自分自身に対して責任をとる必要はない」
なぜなら「現在の自分と未来の自分は同一である」から

同一性と同値性

私は今プログラミングの勉強をしているのですが、そこでは同一性と同値性という概念が登場します。「現在の自分と未来の自分は同一である」という答えに達する過程で、この概念を使って考えることが、自分の中で一番しっくりきました。

プログラミングを勉強したことがない人にも、なるべく分かりやすいように、簡単に説明してみます。

まず、全く同じ構造を持った二つの箱(例としてAとB)を用意します。そして、その箱に全く同じ数字(例として30)を与えます。

同一性と同値性

Q.「この二つの箱は同一であるか?」
A.「同値性はあるが、同一性はない」

上記のようになる理由は、保持している値が同じだったとしても、現在という時点において参照している箱は異なるので、「同一ではない」ということなのです。

これを人間に置き換えて考えてみましょう。
同一性と同値性

Q.「現在の自分と未来の自分は同一であるか?」
A.「異なる値を持っていても、同一である」

つまり、年齢や見た目や考えなど、保持する値が変わったとしても、値を参照している「箱」は一つしかないので、同一と言えるのです。(過去、現在、未来の自分を同時に見ることが出来ないから、と言い換えると分かりやすいかもしれません。)

もし、「現在の自分と未来の自分は同一ではない」とするならば、現在という時点において、自分と全く同じ人間の存在を認めることになってしまうのです。自分と似ている人間はいると思いますが、自分自身は地球上にたった一人しかいません。

テセウスの船

これは、「テセウスの船」の問いと酷似していると思います。「テセウスの船」とは、下記の通りです。

パラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。(Wikipediaより)

私は、人間においては「同じそれ」だと言えると思っています。皆さんはどう思いますか?

ここまで考えて、私は「いつ就職するの?」「いつ結婚するの?」に対する哲学の問いとその答えを導き出すことが出来ました。しかし、これで終わりではありません。

なぜなら、「責任は他者に対してとるものであって、自分自身にはとる必要はない」という前提に立っているからです。ここからまた、新たな問いが生まれそうな予感がします。

5. Google検索で世界を見られるのか?

哲学の問いは普遍的なものですが、終わりはありません。しかし、終わりはなくとも、人生論的なQ&Aよりも問題の本質がクリアに見えるようになりますし、今このような(新型コロナウィルスで大変な)世の中に必要なことではないかと思うのです。

また、人生論的な問いは、Google検索をすれば容易に答えに辿り着くことが出来てしまいます。「ニューQ」では、下記のように述べられています。

「Googleで調べてみよう」ということそれ自体は哲学的ではない。検索して答えらしいものが出てきたら、それ以上考えるのをやめてしまう。

哲学者の名言をたくさん知っても、そのあと「自分で考え始める」ということがなければ、本当の意味で哲学的にはなれない。

ポルノグラフィティの『今宵、月が見えずとも』(2008年)という曲の歌詞に、「グーグル検索で世界を見る」というフレーズがあるのですが、この曲を初めて聴いた当時18歳の自分(もちろんスマートフォンなんぞ持っていない)にとって、このフレーズのインパクトはとても大きかったです。

月日は流れ、「ニューQ」を読み、自分で「哲学の問い」について考えてみたことで、私は下記の結論に達しました。

Q.「Google検索で世界を見られるのか?」
A.「世界を見ることは出来ない」
なぜなら「世界には哲学も含まれる」から

さぁ、哲学の問いをしてみよう。

amiko
編集者、デザイナー、宣伝のお仕事などを経験。現在は「デザインライター」として活動中。プログラマーとしてもお仕事をしています。好きなことは、読書、音楽(主にジャズ)、旅行。

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